僕が八戸の精神病院に入院しているころO君に会いました。
楽天のブログにも書いたのですが、楽天のブログは消してしまったので・・
Oくんはカシオペアが好きでアルバムを全部集めてました。
ファミコンのカセットもかなり持ってました。
八戸の病院はファミコンも置いてありましたから・・
八戸の病院はYMOは僕がアイデアを出したんだと話すおじさんもいました。
でも、八戸弁が分からなかったのでコミュニケーションに苦労しました。
Oくんは八戸弁はそんなになかったです。
O君のことを思い出して、カシオペアをiPod Touchで聞いています。
八戸の精神病院はちゃんと食堂も作ってました。
今思うと、早く退院したいなんて思わないできちんと療養して、職場復帰をしていたらと思います。
でも、人間の運命なんて何が幸いするか分からないと思います。
今は今で自分の時間があるから良いのかなと思ってます。
O君、退院していれば良いなと思います。
八戸の精神病院を退院してもう12年も経つんだなと思います。
釜石の精神病院に入院しましたが、八戸の精神病院のほうが進んでいた感じがします。
八戸の病院は患者のことを考えて、外出して、外食もOKという感じでした。
釜石の病院だと無理でしょうね。
八戸は都会だから違ったのでしょうか・・・
八戸の病院は近くにスーパーがありました。
開放病棟に入ると、ノートに外出先を書くと外出できました。
スーパーの買い物ももちろん、金銭管理がしっかりしてれば、大丈夫です。
金銭管理は使った金額をノートに書くというものでした。
電卓も持ち込みOKでした。
開放病棟だとお小遣いの限度額はなくて、収支があえば良いというものでした。
今思うと、お金を躁病などになって使いすぎる方がいたからかもしれないですね。
でも、洗濯機が混んでいて、洗濯をするのも順番待ちでした。
釜石の病院だと、コインランドリーのお金も節約して、自分で下着をたらいで洗って干す方が多かったです。
入院患者も釜石の病院は高齢の方が多いです。