夜の静けさの中で、雅章(まさあき)はパソコンの前に座っていた。
加湿器の白い湯気が、部屋の暗がりにゆっくりと広がっていく。
ニコニコ生放送の画面には、いつもの配信者、ゆかりの放送が映っていた。
最初に出会った時は、音楽の話で盛り上がり、相性のよさを感じた。
コメントひとつでも、気持ちがふっと軽くなるような日があった。
でも、だんだんとどこか、違和感のようなものが胸に積もっていった。
ゆかりの話題はいつも「自分の不調」や「トラブル」ばかり。
雅章が心配して声をかけると、話題はすぐに自分の方へと反れていく。
それでも、困っているなら助けたい。
通信速度が遅くて配信が止まるというので、雅章は丁寧に言葉を選びながらコメントを書いた。
『速度が出ないなら、プラン変更も考えてみては…
参考になるサイトもありますよ。』
相手の負担にならないように、
気持ちを押しつけないように、
優しく書いたつもりだった。
しかし、戻ってきたのは予想と違う言葉だった。
『設定はもうしてるんで。
Wi-Fiだから遅かっただけだよ。
あなたって他人に厳しいんですね…』
画面の向こうでその文字を見た瞬間、
雅章の胸の奥がずしんと沈んだ。
“厳しい?
そんなつもりはなかったのに。”
心配していたはずなのに、責められたような気持ちがした。
優しさを向けたはずなのに、まっすぐ届かなかった。
その瞬間、ある思いが心の中に芽を出した。
――この人には、何を言っても伝わらないんだ。
その小さな結論は、静かだけれど決定的だった。
それから雅章は、配信にコメントするのをやめた。
特に宣言したわけでもなく、怒ったわけでもない。
ただ、自分の心がこれ以上削れないように、
そっと距離を置いただけだった。
部屋の中はあたたかかった。
ファンヒーターの風が足元に集まり、
外の冬よりもずっと穏やかだった。
画面を閉じると、静けさが広がった。
“これでいいんだ。”
誰かに理解されないことよりも、
無理に関わり続けて自分が傷つく方がつらい。
自分を守るための選択。
孤独ではなく、静かな解放。
雅章は深く息を吸い、
ゆっくりと目を閉じた。
自分の世界を、やっと取り戻せたような気がした。
