ニートが悪という概念は資本主義が作ったもの

            ニートが悪という概念は資本主義が作り上げたものだと思います。

ニートはパチンコもしないし、飲み歩いたりもしないので、食費や娯楽費やネット代の他にはお金を使いません。
パソコン代はかかるでしょうが。
そもそも、勤労に人間は励まないといけないというのは、社会が刷り込んだものだと思います。

日本が、近代国家になろうとするために、西洋の思想を持ち込みました。

生産性を上げるために、科学的合理的精神に基づいた効率の良い生産方法が導入された。

この本の対局にあるのが、「金持ち父さん、貧乏父さん」です。

お金は何のために必要なのでしょう。
食費のためでしょうか?
被服費のためでしょうか?
住居費のためでしょうか?

1899年の最初の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』では、いわゆる「金ぴか時代」(Gilded Age)の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明され、彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。ヴェブレンの超然とした記述は、客観的で抑制されているだけ、皮肉を鋭く感じさせる。[独自研究?]この本が当時の読書界に反響をおこしたのは、『誇示的消費(衒示消費、Conspicuous Consumption)』『誇示的余暇(衒示余暇、Conspicuous Leisure)』『金銭的競争(Pecuniary Emulation)』『代行消費(Vicarious Consumption)』などの新奇で印象深い用語とともに、こうした特異な文体に負うところが大きい。さらにヴェブレンが「見せびらかし」と断じた奢侈や余暇は、悪趣味と怠惰の汚名をかぶり、アメリカであからさまには享受できなくなってしまった。

車など、必要なものですが、NSXやフェラーリなどは、みせびらかしの消費のためのものです。

マスコミは金持ちはぜいたく品を買うという刷り込みをしてます。

実際の金持ちは質素な暮らしをしているそうです。

ひきこもりは家の人に暴力を振るわないで大人しくくらしていれば、誰の迷惑にもならないのではないでしょうか?
質素な暮らしをしているだけ、お金持ちに近い存在といえると思います。

マスコミは社会性がないとダメみたいなことを言いますが、社会性がありすぎる人ほど、人におべっかを使ったり、組織を作って、自分の承認欲求を満たそうとします。

麻原彰晃はその悪い例だと思います。

でも、ネットもシステムを作って、人間を囲い込もうとするところがあります。
ヤフオクのシステムとか。

人間はもっと自由で良いのではないでしょうか?

人から押し付けられた価値観にしばられなくても良いと思います。

自分の好きなように生きて良いと思います。

それが人と関わりたくないというマイナスな気持ちでも、良いと思います。

人に迷惑をかけなければ、自分の好き勝手に生きて良いと思います。

ニートや引きこもりが悪というのも、資本主義に毒された、マスコミのキャンペーンによるものです。

親にお金があるなら、寄生させて良いと思います。

就職とか嫌なことを強制しなくても良いと思います。

学歴社会とか社会が生み出した、害悪だと思います。

甲子園とか僕は見てて、気持ち悪いです。

アメリカが作ったレクレーションを持ち上げて、全校生徒を集めて応援させるとか、教師の考えを生徒に押し付けていると思います。

社会が強制するものからは人間は自由になって良いと思います。

読んでいただいて、有難うございました。

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